1998年11月30日月曜日

杉野さんとアルページュ

〔旧HPより転載〕


杉野さんは亡くなってしまった。向井さんも島氏さんも、江面さんも酒井さんも、みんな亡くなってしまった。楽しいときがあれば、終わりもあるのだ。


杉野さんとアルページュ杉野さんとアルページュ杉野さんとアルページュ
杉野禾吉さんとアルページュ
1998.11 アオレレ (AOLELE) 文集に寄稿


はじめて杉野さんにお会いしたのは、もう30年近くも前になりますが、油壷に浮かぶ青いアルページュの上でした。僕は当時、東京に出てきたばかりの新入社員で、一年先輩の島氏さんの紹介でアオレレに寄せてもらうことになったのです。夏も終わりのある土曜日の午後(当時の住商では土曜日は各週で出勤でした)、向井さんの車で油壷に向かいました。道は混んでいましたが、長者が崎をまわったとたんに、青い海と白い雲が目の前いっぱいに広がり、とても感動したのを憶えています。

道ばたにアシタバが生えているヨッテル際の細道を下り、テンダーを漕いで、お椀のように丸くて背が高いヨットに到着しました。それがアオレレで、なんでもフランス製のアルページュという最新型プロダクションボートで、この春の太平洋横断シングルハンドレースで堂々二位で三崎にゴールしたものを、アオレレメンバーの得意の英語交渉力で買い取ったとのことでした。僕がその高いスターン(その時はまだ梯子がついていなかった)を苦労してよじ登るのを、コックピットから助けてくれた人が杉野さんで、白い半ズボンに、学生帽のような青い帽子がとても印象的でありました。

アオレレでは毎晩が酒盛りでとても盛り上がりました。向井さんは、アルページュの近代的なキッチンで盛んに料理をつくり「このジョンジョン(日本酒)は美味しいよ」と剣菱を呑んでました(わたしは関西育ちなのに剣菱の名前も知らなかった)。江面さんは「式根という島に行くと、崖下の浜に温泉が湧いていて、そこに入っていると目の前に夕陽が見えて、波がどーんと跳ねかえって、とーてもチョーワ(良い)よ」と話してくれました。冨島さんは「ミラノに出張で行ったが日本の円を交換しようとしてもどこでも換えてくれなかった、日本はまだまだアンデーな(良くない)国よ」外国のみやげ話をしていました。島氏さんは「ネー、ネー(了解、了解)」と云いながら、いつもニコニコされていました。隣の船の方がアジのたたきを作ってくれました。(こうやってバイ菌を一つづつ殺すのよ、といって包丁で盛んにアジを叩いておられました)。その他にもいろんな楽しい人たちが集まってアオレレは毎晩にぎやかでした。杉野さんは「普通の船はまずハルがあってその中にキャビンを埋め込むのだが、この船はまずキャビンを設計してその外側にハルをとりつけたのよ」とアルページュの居住性をこよなく愛しておられました。

進藤さんが船にミス・エクアドルを連れてきたり、杉野さんがビール会社の宣伝に船を提供したので美人モデルが大挙してやってきたり、それはそれはドキドキするような楽しいことがいっぱいありました。はじめての初島レースでは、強風のなかでスキッパーの沼口さんの英雄的なティラーさばきに感動しました(明け方になっても頑張って舵を引く沼口さんの頬に、青々と髭が(進行形で)伸びてくるのをみて、ただただすごいと思いました)。向井さんが大きなシイラを釣って、それを皆で食べ尽くしました。そのまま鍋に放り込んで揚げたアナゴのてんぷらも絡み合っていてすごかった。波布の港の岸壁で、御神火という焼酎といっしょにはじめて食べたクサヤの美味しかったこと。日曜日の夕方になると杉野さんの年代物の青い「トラック」をだましだまし運転して東京に帰ってきました。アルページュに乗っていた時の僕たちは本当に楽しく幸せでした。

でもしばらくして僕はアルゼンチンに行くことになり、油壷を去りました。杉野さんも考えるところがあり、会社を辞められ日本を離れました。杉野さんはアルゼンチン経由でブラジルに向かわれたのですが、ブエノスアイレスのバスターミナルで、一人でブラジルに発つ杉野さんをお見送りした時は、さすがに感無量でした。

向井さんが「ヨットマンは常に超現実の世界に理想と夢を求めるのだ」との趣旨のことを云ったことがあります。僕も同じように感じることがあります。船首を大海原に向けてティラーを引くとき、この世のしがらみは後ろに残し去って、すばらしい希望に向けて船を進めているような気になるのです。人生においては、僕の場合、理想と夢は空想の世界の中にそれを求めることで我慢してきたように思います(空想への逃避をしていたのです)。しかし杉野さんの場合は、勇気があり、あくまでも現実の世界における夢と理想を追求され、実践されたのでした。

杉野さんを思い出すとき、どうしても青い色が浮かんできます。相模湾の青い海。杉野さんの青い帽子と青いダッフルコート。杉野さんの青い「トラック」。そしてあくまでも青いヨット「ブルー・アルページュ」です。

アルページュといえば、同じ名前のフランスの香水があります。家内はごく若いころ、この香水をつけていたのですが、それはもうずっと昔のことで、いまはその香りも嗅ぐこともありません。アルページュとは、永遠に「青春の香り」なのかも知れません。

(橋本尚幸)